論集

論集投稿規定

  1. 投稿は本学会評議員もしくは理事の推薦を受けた学会員の未発表論文に限ることとする。
    論文の推薦条件は下記のとおりである。
    1. 学術大会の発表の中で、推挙に値すると判断された研究発表。
    2. 学術大会以外の研究例会等で、推挙に値すると判断された若手会員
    3. 本学会もしくは広く学界に寄与すると認められる論文。
  2. 掲載の決定は編集委員が行う。
  3. 枚数は400字詰原稿用紙30枚程度とし、別に欧文要旨(一ページ分)を添付する。
  4. 稿料は支払わない。ただし抜刷30部を贈呈する。

論集

TOUR(東北大学機関リポジトリ)

第46号(2019年12月31日発行)

木村俊彦 東北帝国大学出立の頃—日本とドイツの交流を中心に—(補遺)
陳 頴傑 『沙石集』の救済構造─神明の方便と「慈悲」「智恵」─
村上真完 初唐における智通訳の観音経類が意味するもの
華園聰麿 ロバート・N・ベラーの「比較宗教」── “Religion in Human Evolution“ に関する一考察──
笠松 直 夜の王─ nagaraguttika-「都市の守護者」考─
包 龍 ホルチン地方におけるモンゴル・シャマニズムの憑依型への変遷について
眞鍋智裕 マドゥスーダナ・サラスヴァティーの Bhāgavata Purāṇa 1.1.3の解釈 ──何故 Bhāgavata Purāṇa が最高の〈人間の目的〉なのか──
佐藤亜美 タカラガイと安産信仰─『竹取物語』を手がかりに─
佐﨑 愛 日本ハリストス正教会の〈死者の記憶

第45号(2018年12月31日発行)

木村俊彦 東北帝国大学出立の頃—日本とドイツの交流を中心に—
村上真完 南アフリカの新仏教運動Sat Chit Anand(sac-cid-ananda)
山田仁史 岡正雄による日本神話・宗教論
村上幸三 ブリハッド・アーラヌヤカ・ウパニシャッド1.2.1へのシャンカラ注における「因中有果論」
大村哲夫 スピリチュアル・ケアとしての在宅緩和ケア:臨床宗教師の可能性
西村直子 ヴェーダ祭式における家系の意義
笠松直 梵文『法華経』における「法師品」にみられる二、三の言語的特徴
眞鍋智裕 マドゥスーダナのバーガヴァタ・プラーナ註における四姓・四住期制度超克の論理
渡辺亮 Vasantatilakaにおける身体観
佐々木雄太 Narandasmrtiにおける司法総則

第44号(2017年12月31日発行)

早川 敦 証上の修
木村俊彦 初期瑞巌寺史の研究・承前
村上真完 仏と神の違いの考察―西域・高麗・朝鮮・日本の寺院壁画の男神・女神と一神教の神―
華園聴麿 親驚の往生考―即得往生の両義性―
庄司一平 19世紀米国ユニテリアン主義における教典の脱文脈化
藤本有美 出家期間の少ない僧の僧団指導者就任という例外について
高橋嘉代 支出科目からみる祭礼運営の展開―山の寺秋葉神社どんと祭の事例から―
ドンネレ・アリーセ 墓地整理に伴う地蔵の移動―仙台市仏教寺院の調査から―
陳 宣聿 台湾における嬰霊の遡源:龍湖宮を手がかりに

第43号(2016年12月31日発行)

栗田英彦 腹式呼吸の近代―藤田式息心調和法を事例として
村上真完 新将来の北朝鮮(高麗)仏画(小壁画)の問題と整理
阪本(後藤)純子 新月祭(および祖霊祭)の原初形態―Rgveda X85 とAtharvaveda VIII 10 を中心に―
久保田力・渡部 諭・杉山朗子 家庭と学校における自分の色イメージ等に関する覚書―イメージ調査結果第1次データ集計を振り返って―
吉水清孝 Brahmasutra成立史の再検討―第3巻第3章について―
早川 敦 儀礼空間の構築
高本康子 文明を目指した「菩薩」―大谷光瑞に関する一試論―
高棹健太 19世紀末のシンガポールにおける葬送と火葬に関する議論
西村直子 ヴェーダ文献に辿る「祭主の人生」
ドンネレ・アリーセ 寺院の境内における地蔵尊の役割―仙台市の四ヶ所の寺院の仏像の建立・移動をめぐって―
藤本有美 Vyavaharabhasya第一章に見られる住処での生活規定について
劉 建華 近代における人の神格化―仙台藩祖の伊達政宗を事例に―
松村幸彦 インド後期密教における現世利益
坂 英世 パーリ註釈文献の日常的用法から見たpapañca-

第42号(2015年12月31日発行)

木村俊彦 初期瑞巌寺史の研究
諸岡了介 R.N.ベラーにおける宗教進化論の展開と現代の宗教研究
村上真完 石津照璽先生の捉える存在の極相
久保田力・渡部 諭・杉山朗子 兄弟姉妹の色イメージについて(調査結果から)
谷山洋三・森田敬史 電話相談における宗教協力の意義
高橋嘉代 ニュータウンにおける祭礼運営組織の新たな試みとその背景―山の寺秋葉神社どんと祭の事例から―
高本康子 寺本腕雅喇嘛教工作案に見る戦時下日本と「喇嘛教」

第41号(2014年12月31日発行)

華園聴麿 『歎異抄』第三条考―善人・悪人概念をめぐって―
久保田力・渡部 論・杉山朗子 男女における父母のイメージ色選択組み合わせの特徴について―東北芸術工科大学における調査から―
高本康子 寺本腕雅関連資料の現在―寺本家資料を中心に―
陳 甜 吉田寺におけるポックリ信仰の展開
藤本有美 Vyavaharabhasya 第2章における心の不調な僧について
尾園絢一 正しい言葉 (śabda-)―ヴェーダとパーニニ文法学の観点から―

第40号(2013年12月31日発行)

間宮啓壬 日蓮における「龍女成仏」理解の系譜―「即身成仏」の文脈で―
吉水清孝 ミーマーンサーにおけるYajurveda中心主義について
阿部友紀 五来重の「庶民信仰」論
西村直子 タイッティリーヤ・ブラーフマナにおける新月祭・満月祭のマントラ―Upavasathaに関するⅢ 7,4を中心として
高本康子 戦時期大陸関連画像資料に見る「大東亜」の宗教―「富士倉庫資料」を中心に―
笠松 直 ミャンマー僧院所伝のパーリ語古写本の現地調査―初期調査概要の報告と今後の展望―
藤本有美 Vyavaharabhasya第2章におけるvihara(遊行)の規定について
黄 緑萍 流行神の誕生と展開―長野県飯田市貧乏神神社を事例に―
松村幸彦 Ratnakarasantiの説くHevajra系観相法について―三三昧と三身の関係を中心に―

第39号 (2012年12月31日発行)

山形孝夫
宗教の力―〈絆〉再考――死者を記憶するということ
木村俊彦

ウダヤナに於けるダルマキールティ引用の経緯
村上真完
日本仏教における絆の問題:原始仏教との対比
高橋嘉代
地域社会の変化に伴う祭礼運営組織の再編――仙台市泉区における「山の寺秋葉神社どんと祭」運営組織に注目して
村上幸三
シャンカラにおけるsaksin(目撃者)について
大村哲夫
生者と死者をつなぐ〈絆〉――死者ヴィジョンの意味するもの――
西村直子
ヴェーダ文献における誕生の神話と儀礼――後産分娩を中心として――
高本康子
大陸における対「喇嘛教」活動――寺本婉雅を中心に――
井藤美由紀
亡き人との〈絆〉と宗教の力
モリス・ジョン
「腐敗せざる遺体」(corpora incorrupta)の思想的系譜
川口葉子
「教会」と「社会」の対立――日本万国博キリスト教館出展問題を中心に――



第38号 (2011年12月31日発行)

岡野 潔 インド正量部による世界の歴史―『大いなる帰滅の物語』内容梗概―
小林 守 『中観荘厳論』第63偈について
庄司一平 サンタヤーナの自然的宗教論
長友泰潤 チャラカ・サンヒターのプラーナ説―他学派の見解との比較考察―
相澤里沙 宗教におけるトリックスターの役割―G・J・ヘルトにみる―
久保田 力 生・死・死後の色のイメージ―美大生への質問紙調査から―
澤井治郎 ラインホールド・ニーバーとパウル・ティリッヒにおける宗教理解の枠組み
黄 緑萍 仙台幸子に関する比較研究―流行神の視点で―
高本康子 戦時下の「喇嘛教」認識―芥川光蔵「秘境熱河」を中心に―
笠松 直 ナツメヤシとタマリンド

第37号 (2010年12月31日発行)

栗田英彦 岡田式静坐法と国家主義―二荒芳徳を通じて―
久保田 力・渡部 諭 芸術系大学性のスピリチュアリティに関する意識について―質問紙調査から―
吉水清孝 シャンカラにおける瞑想の客体としての最高我(paramatman)について
高橋嘉代 二極化する都市祭礼―宮城県仙台市の「どんと祭」の実施件数および参拝者数に注目して―
足澤一成 修辞技巧(alankara)「描写」(svabhava-ukti)
大村哲夫 死者のヴィジョンをどう捉えるか―終末期における死の受容とスピリチュアル・ケアー
笠松 直 Vedic svarga-
飯塚真弓 空間構造、神話、宗教実践から見るヒンドゥーの神々の関係性―南インド・チダンバラムの事例をめぐって―
西村直子 ヴェーダ文献における発酵乳とSomaの神話―samnayyaを中心として
高本康子 戦時期日本の「喇嘛教」施策―国立民族学博物館青木文教師アーカイブを中心に―
茂木謙之介 雑誌メディアに於ける皇族表象―十五年戦争期『家の光』を事例に―
山田知輝 RgvedaにおけるSarasvati―RV VⅡ95,96を中心に―

第36号 (2009年12月31日発行)

木村俊彦 ダルマキールティにおけるヨーガ者の智の定義について
澤井 真 宗教的経験と「無意識的なるもの」―ウィリアム・ジェイムズの心理学から―
澤井治郎 ティリッヒの宗教的象徴論にみる「究極的関心」
村上真完 知覚(体験)に基づく仏教か理屈(理性)に基づく仏教か―和辻哲郎を手掛かりに―
江川純一 宗教学者の宗教運動―ペッタツォーニの戦後と宗教的自由―
高本康子 明治大正期日本におけるチベット画像資料―日本人入蔵僧の旅行記を中心に―
佐藤慎太郎 M.エリアーデにおけるブランクーシ解釈―「聖なるものの偽装」と現代芸術―
西村直子 ヴェーダ文献における胎児の発生と輪廻説
山畑倫志 Desi概念の成立―Desinamamalaに至る背景―

第35号 (2008年12月31日発行)

諸岡了介 時代の中の弓と宗教―阿波研造と大射道教―
笠松 直 マヌと五人の息子たち
吉水清孝 祭式のなかの神々―ミーマーンサー学派の立場から―
高橋嘉代 「山の寺秋葉神社どんと祭」運営組織における役員構成の変化
阪本(後藤)純子 「水たち」apasと「信」sraddha- ―古代インド宗教における世界観―
蜜波羅鳳洲 大乗経典における浄化の理論と手法(2)―『維摩経』所説のmahabhijnaparikarmaを中心として―

第34号:第50回学術大会記念号(2007年12月31日発行)

華園聰麿 ヴァン・デル・レーウの宗教現象学の人間学的理解―「生」および「世界」の概念を中心にして―
澤井義次 宗教の多様性と現代―宗教研究の新たな地平―
何 燕生 禅思想のもう一つの流れ―道元における「拈華微笑」の理解をめぐって―
小椋章浩 僧肇の言語観―真理の不可言性―
谿 季江 大津絵と民俗宗教との関わりについて―「藤娘」を例として―
阿部友紀 現代祈祷寺院における仏教行事の成立
大村哲夫 継承される宗教経験「悟り」―『伝光録』にみる「悟」から―
小田島建己 〈死者の結婚〉のイメージと“写真”―「ムカサリ絵馬」の事例にみる
澤井 真 ジェイムズの「プラグマティズム」概念とその理論的展開―「神」の探求と宗教的経験―
澤井治郎 ティリッヒの「宗教史の神学」とその位置
栗田英彦 シャマニズム論における諸問題―アマヨンとフルトクランツの論争を通して―
相澤里沙 オランダにおける宗教学と民族学―「アニミズム」に現れる差異―
オリオン・クラウタウ 恐怖の源から救い主へ―宗教学における〈歴史〉の位置付け―
斎藤 喬 啓蒙のスペクトル―ジャック・プルーストと説教の言説について―
田中鉄也 サティ―研究の現在:1970年代以降の学術的動向を中心に
高橋嘉代 宗教浮動人口における既成仏教寺院の機能―「山の寺秋葉神社どんと祭」に注目して―
滝澤克彦 越境できなかった宗教―社会主義以前のモンゴルにおけるキリスト教伝道―
西村直子 月と神々の食物―Satapatha-Brahmana Ⅰ 6,4 (新月祭のupavasatha)
山田仁史 金の枝を手折りて―フレイザーが残したもの―
阪本(後藤)純子 「究極のAgnihotra」を巡るJanaka王とYajnavalkyaとの対話―SB-M XI 3,1, SB-K Ⅲ1,4, JB Ⅰ19f., VadhAnv Ⅱ13―
吉水清孝 定動詞のkaraka表示論証とクマーリラによるその批判について
木村敏明 東南アジアにおけるキリスト教的口頭表現と聖典―トバ・バタック社会の事例―
岡野 潔 弥勒下生経類と『大いなる帰滅の物語』の関係
鈴木岩弓 『中央公論』にみる「死」の扱いの変化
後藤敏文 sraddha-, credoの語義と語形について
村上真完 原始仏教資料の新古問題と法の意味―『スッタ・ニパータ』の古層と『律』の仏伝をめぐって―

第33号 (2006年12月31日発行)

徳田幸雄 宗教集団の展開と構造―回心類型と宗教年鑑データにもとづく一考察―
佐藤慎太郎 日本におけるエリアーデ宗教学の意義と貢献
斎藤 喬 誰が何を怖がるのか―ジャン・ドリュモーと「恐怖」の語りについて―
井田克征 クールマチャクラについて
足澤一成 インド文学としての俳句―インド文学理論で俳句評論は可能か?―
岡野 潔 Anavataptagathaの釈尊の業の残滓を説く因縁話の形成
相澤里沙 人類学者と植民地行政官―W・W・スキート『マレーの呪術』にみるアニミズム―
蜜波羅鳳洲 大乗経典における浄化の理論と手法―『三昧王経』所説のmahabhijnaparikarmaを中心として―
長島潤道 維摩経』梵本と諸訳の比較
米澤嘉康 『維摩経』と『智光明荘厳経』

第32号 (2005年12月31日発行)

華園聰麿 エリアーデ宗教学の人間学的理解―ヒエロファニーのカテゴリー的解釈の試み―
高橋嘉代 新規入檀檀家における寺檀関係―その関係性に注目して―
物部朋子 「宗教の他に道はあるのだろうか?」―もう一つの宗教的志向の探求―
山田知輝 vastavya-, vastuha-, vastupa- ―置き去りにされた居住地に関する記述を巡って―
山本侍弘(弘史) Ambararaja(文殊師利)の発菩提心偈―中観儀礼の一側面―
ハムゾン・シトゥモラン バタックの葬儀
足澤一成 サンスクリット戯曲は娯楽か―インド文学理論の示す道―

第31号 (2004年12月31日発行)

間宮啓壬 日蓮研究に関する方法論的試論と戦後日蓮研究史―「顕密体制論」後の歴史学的・思想史学的日蓮研究を中心に―
浅井證善 四国遍路と弘法大師信仰―仏海上人の場合―
江川純一 初期ペッタツォーニの宗教史学―『サルデーニャの原始宗教』とそのコンテクスト―
Ippei SHOJI An Ambiguous Common Faith of John Dewey
松森大樹 五相現等覚に見られる唯識思想に基づく行法について―Ratnakarasanti著Rahahpradipaの記述を中心に―
Dale K. Andrews Transcendental Political Action:A Case of Oshirasama Tatari from the Tohoku Region
森 雅秀 仏教の空間論への視座

第30号 (2003年12月31日発行)

諸岡了介 現代宗教研究における現象学的社会学の意義
斎藤 喬 「怖がらせるもの」としての幽霊―三遊亭圓朝『真景累ヶ淵』をめぐって―
井田克征 プラーナーヤーマとクンダリニーヨーガ―シュリークラ派における儀礼解釈の二つの位相
熊谷孝司 BrhatsamhitaおよびAtharvavedaparisistaに現れるGargaについての一考察
村上幸三 Vakyapadiyavrttiに引用される詩節のヴェーダーンタ説
鈴木岩弓 堀宗教民俗学と「民間信仰」
古坂紘一 蔵梵漢仏典の比較対象研究に関する私見―特に『菩薩地』功徳品をめぐって―
木村敏明 「初期」石津宗教哲学における「成立性」概念―「晩期」の実証的研究との関連において―
奥山直司 日本近代仏教学史の一側面―明治の印度留学生を中心にして―

第29号 (2002年12月31日発行)

徳田幸雄 回心の比較宗教学―conversionと廻心―
村上幸三 Vakyapadiyavrttiにおけるkala(時間)概念の実質
Toma Radev A Morphosemantic Study of the Present Forms Built to the Roots gam and ga in the Rgveda
滝澤克彦 現代モンゴルにおけるキリスト教の受容をめぐって
藤本有美 パーリ語junha-の語義について
スダン・シャキャ 『一切悪趣清浄タントラ(Sarvadurgatiparisodhana Tantra)』におけるマンダラ儀軌の一考察
大城公男 鳩間島のプール―沖縄における予祝儀礼
熊谷孝司 古代インドにおける予兆の研究―地震の場合―

第28号 (2001年12月31日発行)

村上真完 無常説と刹那滅説の基礎概念
楠 正弘 シャマニズム論の背景と展開
木村俊彦 インドにおける神の証明
汪 立珍 中国エヴェンキ族の山の神祭りとオボ祭り
中村隆海 祖霊祭sraddha:インド・ガヤー市の事例報告
岡光信子 南インド・カトリック教会の宗教活動と社会奉仕―一女子修道会のインド管区の事例をもとに―
尾川明子 大乗仏典における女性Hphags-pa bud-med hgyur-ba lun-bstan-pa shes-bya-ba theg-pa chen-pohi mdo(聖転女授記経)の場合

第27号 (2000年12月31日発行)

渡辺喜勝 草木成仏論の形成と意義
諸岡了介 R.N.ベラーにおける市民宗教概念について
村上真完 故神舘義朗氏の業績と学風を偲ぶ
松本峰哲 シャンバラ(Sambhala)考
徳田幸雄 回心研究とその人間理解
笠松 直 Veda文献群におけるUddalaka Aruni―祭式学者としてのAruniとその周辺―
堂山英次郎 Rgveda I 82 hariyojana-, brahman-, 新しい歌, I. Sg. Konjunktiv

第26号 (1999年12月31日発行)

華園聰麿 メンシングの宗教学における人間学的理解
朝山幸彦 極楽浄土観―Sukhavativyuhaと大阿彌陀経―
何 燕生 如浄研究ノート―特にその生涯と語録をめぐって―
倉西憲一 Acintyadvayakramaopadesaの研究(1)―序説として―
庄司一平 エマソンにおける自然と魂―その人間理解をめぐる一考察―
Takatsugu Hayashi Preliminary Notes on Merit Transfer in Theravada Buddhism
待井芙美子 キリスト教葬儀の変遷―儀式書・祈祷書・式文を手がかりに―
岡野 潔 仏陀が永劫回帰する場所への信仰―古代インドの仏蹟巡礼の思想―

第25号 (1998年12月31日発行)

岡 宏志 エリアーデ宗教学における人間学的側面について
村上真完 大乗経典の創作(sutrantabhinirhara,能演諸経,善説諸経)
徳田幸雄 新島襄の回心―その過程と本質をめぐる解釈学的考察―
長友泰潤 チャラカ・サンヒターのマナス説―インド哲学諸学派との比較研究―
岡光信子 地位上昇運動とキリスト教―近代南インドのナーダール・カーストの事例をもとに―
三井淳司 『金剛頂経』におけるhrdayaとメタファー
林 能輝 覆う非知と散開する非知―不二一元論学派における非知説の一展開―
ハムゾン シトゥモラン バタック社会におけるキリスト教の機能

第24号 (1997年12月31日発行)

陶 思炎 中国の紙馬について
何 燕生 無住における禅教一致説の受容について
河村能成 空海の著作に見る道祖神の観念―『秘蔵法鑰』と『聾瞽指帰』の記述を中心に―
Takatsugu Hayashi Death and Rebirth in Theravada Buddhism―Some Problems of Mental Object―
木村敏明 ハガベオン―トバ・バタックの習慣における生の価値と死者―
権 来順 瑜伽行唯識派の実践論―『Yogacarabhumi』修所成地を中心にして―
許 一系 『Ratnarasi sutra(大宝積教・宝梁聚会)』に見える仏教教団の構成
松本峰哲 Vimalaprabhaタントラの所説の略説の章における引用文献について

第23号 (1996年12月31日発行)

品川知彦 佐太神在祭考―神々は何故出雲に集うのか―
繁田信一 仏神・天道・宿世―平安貴族の生活感覚に置ける神仏の位置―
間宮啓壬 日蓮の女人救済論―ジェンダー論的視点から―
堀内みどり サーラダー・デーヴィーの生涯とその神秘体験
北原裕全 adhyvasaya―有形象理論における唯識と外界―
西村直子 律典の食物観―食蒜禁止規定を中心として―
谷山洋三 古代インドにおけるハンディキャップをもつ人々―律文献を通して―
M.Mostafa Kamal The Dehatmavada in Indian Thought

第22号 (1995年12月31日発行)

神舘義朗 シャンカラにおけるブラフマンと現象世界
渡辺喜勝 日蓮における二つの予言―予言されし者と予言せし者―
諸岡道比古 悪はいつ克服されうるか―後期シェリング哲学の場合―
宮崎真矢 シェーラーの現象学理論について
木村敏明 インドネシアにおける呪術的・宗教的土地所有権について―馬淵東一の所論の検討をとおして―
小田嶋利江 変成男子物語をめぐる性意識
飯渕純子 Karmasatakaについて―誓願を中心に―

第21号 (1994年12月31日発行)

何 燕生 彫文喪徳と琢磨増輝―道元における宏智理解について―
繁田信一 祟―平安貴族の生活感覚における神仏についての予備的考察―
品川知彦 フレーザーにおけるsuperstition―呪術,宗教,民間信仰―
佐々木幸貴 Nyayamanjariにおけるアートマンの問題(2)―認識主体が単一であることはいかにして知られるか―
村上幸三 名称・形態―シャンカラの宇宙論(3)―
小林 守 究極的真実の存在と認識(1)―ツォンカパの中観思想を中心として―

第20号 (1993年12月31日発行)

伊藤辰典 現代における修験者の活動―宮城県丸森町の本山修験宗寺院を中心として―
間宮啓壬 日蓮における救済の構造―即身成仏と霊山往詣―
浅野博之 形而上学と宗教のあいだ―マックス・シェーラーの絶対領域論を手懸かりにして―(其の二)
長友泰潤 クマーリラのマナス説―ニヤーヤ学派との比較―
林 隆嗣 南方上座部の行為論―Atthasaliniにおける業と門との関係―
三上俊弘 ヴィーダーンタ・デーシカの独在論(2)
佐々木幸貴 Nyayamanjariにおけるアートマンの問題(1)―sabdamatra-uccaranaについて―

第19号 (1992年12月31日発行)

何 燕生 道元における修証思想の一考察―如浄との比較を通して―
木村敏明 G.ヴァン・デル・レーウの宗教現象学における人間の問題(2)
間宮啓壬 日蓮の信仰における謗法罪の位置と意義―智慧との連関において―
浅野博之 形而上学と宗教のあいだ―マックス・シェーラーの絶対領域論を手懸かりにして―(其の一)
小林 守 シュリーグプタ作『真実への悟入』―和訳研究(上)―
根岸宏典 彫刻に見る一角仙人説話の展開
北原裕全 Visesana 考―Nyayavarttikatatparyatikaの直接知覚論理解のために―

第18号 (1991年12月31日発行)

繁田信一 平安中期貴族社会における陰陽師―とくに病気をめぐる活動について―
杉山龍清 雑譬喩経類について(2)
木村敏明 G.ヴァン・デル・レーウの宗教現象学における人間の問題(1)
宮崎真矢 初期ティリッヒの宗教哲学について―その方法論を中心に―
村上幸三 adhyasa,mithyainana,aviveka―無明概念あるいは無明感覚―
三上俊弘 ラーマーヌジャの解脱道と知―karmayogaとjnanayogaをめぐって―
佐藤誠司 伝Arya Sura作『波羅蜜の要約(Paramitasamasa)』第一章 和訳

第17号 (1990年12月31日発行)

岡野 潔 仏陀の永劫回帰信仰
間宮啓壬 日蓮における謗法罪と救済
浅野博之 シェーラーにおける浄福と絶望
足澤一成 Sahitya-darpanaのrasa理論―インド古典文芸論の一理論―
伏見英俊 如来蔵に対するプトンとダツェパの立場―『如来蔵の麗飾』並びに同註解をめぐって―
伊藤道哉 Videhamukti(離身解脱)について

第16号 (1989年12月31日発行)

華園聰麿 多元的信仰の機制に関する理論的考察―マックス・シェーラーの価値論との関連において―
華房光壽 『業成就論』について
間宮啓壬 日蓮の宗教的自覚に関する一考察―法華経の行者と謗法の者―
宮崎真矢 シェーラーの自然的宗教について
西倉直樹 グレンベックのキェルケゴール観
桜井宗信 Kriyasamgrahapanjikaの灌頂論(3)―一般若智灌頂―
村上幸三 シャンカラの宇宙論(1)―ブラフマン/主宰神にまつわるvyavahara―

第15号 (1988年12月31日発行)

宮崎真矢 マックス・シェーラーにおける宗教の本質現象学について
浅野博之 シェーラーにおける神の理念について
山崎 亮 デュルケームにおける道徳と宗教
山下博司 ディヴァムとカダヴル―古代タミル世界の神―
安藤嘉則 ジャイナ哲学におけるsabda観について―原子説との連関において―
岡野 潔 普曜経の研究(中)―Lalitavistaraにおける新古の層の区分―
桜井宗信 Kriyasamgrahapanjikaの灌頂論(2)―秘密灌頂―

第14号 (1987年12月31日発行)

木村俊彦 ダルマーキルティにおける宗教的言語論―婆羅門経との聖典論争をめぐって―
加藤浩二 R.オットーにおける感情の問題
佐々木徹 カール・バルトの『ロマ書』(第一版)における信仰について
渡辺喜勝 日蓮における女人成仏論
山崎 亮 初期西田哲学における宗教の問題
岡野 潔 普曜経の研究(上)―Lalitavistaraにおける新古の層の区分―
高橋宏文 ダンマパダアッタカター語義解釈よりの視点

第13号 (1986年12月31日発行)

諸岡道比古 人間における悪の問題―カントとシェリングの所説をめぐって―
山崎 亮 デュルケーム宗教論における行為の問題
西倉直樹 キルケゴールにおける罪の問題
佐々木雅文 神の恩寵と修行―カシミールシヴァ派における―
小林 守 カマシーラの離一多論証―『中観明』試訳(上)―
奥山直司 Jyotirmanjariの研究(Ⅱ)

第12号 (1985年12月31日発行)

華園聰麿 多元的信仰生活の構造―藤原実資の場合―
安藤嘉則 ジャイナ認識論のウパヨーガ説をめぐる諸問題―感覚知と完全知を中心に―
佐島 隆 近代のイスラム宗教的世界への視角―C.ギアツの所論をめぐって―
伊藤道哉 Istasiddhiのjivanmukti論(Ⅰ)

第11号 (1984年12月31日発行)

楠 正弘 信仰の究極を尋ねて
長友泰潤 仏教論理学派における意知覚(manasapratyaksa)について
山崎 亮 社会と個人―デュルケーム宗教社会学の基底―
久保田力 『楞伽経』の形態的成立史論―内部構造と原型への視点―
西倉直樹 キルケゴールにおける閉鎖性の問題
小林 守 映像(pratibimba)に関する三つの見解
佐々木徹 カール・バルトの『ロマ書』(第二版)における信仰について

第10号 (1983年12月31日発行)

山本春樹 死者と霊魂―アニミズム理論史研究序―
才川雅明 慧遠の三身説
宮 敏子 『往生要集』における往生成立の時をめぐって
P.Hoormaert 分別と無分別―菩薩道における真実の追求―
鈴木岩弓 柳田國男の祖先崇拝論―先祖と家の観念を手がかりに―

第9号:楠正弘教授還暦記念特集(1982年12月31日発行)

北川直利 ワッハの救済の人間学の構造―ウェーバー批判との関連において―
池上良正 儀礼的境界におけるコスモス化とカオス化―V.ターナーのコムニタス論をめぐって―
諸岡道比古 シェリングにおける悪の一考察―精神的宗教をめぐって―
村野宣男 ヒュームにおける道徳と宗教
米沢 紀 セーレン・キェルケゴールの生涯と著作の構造―間接的伝達としての匿名の問題を中心に―
真方 敬 道義にして罪と罪にして義―『ロマ書』第七章十四−二十四節を中心に―
中川本秀 祈りと沈黙
山折哲夫 鑁覚の宗教経験―解脱=救済論の新しい地平―
華園聰麿 往生伝的浄土信仰における心の問題
早坂 博 一遍における念仏と救済
渡辺喜勝 時宗の入水往生考―その救いの論理と構造―
高橋 渉 稲荷信仰の習合構造
山本春樹 ものといきものの供養
松田紹典 干戈裡看花
月光善弘 わが国の真言密教と大峯山・月山の秘所について
高木 元 沙門の解脱道―『聖仙の語録』を中心として―
澤井義次 出家遊行―シャンカラの不二一元論ヴェーダンタ哲学をめぐって―
杉本卓州 デーヴァダッタの善玉化−仏教における悪者の救済―
塚本啓祥 解脱と救済の位相と統一―タクシラにみる宗教の種々相−
矢島羊吉 龍樹の空の論理
広瀬智一 自在神にかかわる解脱と救済の問題―『Sarvasiddhantasamgraha』を中心として―
磯田熙文 死・中有・再生による成覚論−『Amnayamanjari』における
星宮智光 大乗仏教における悟りとその階梯―天台行位論の一考察―
杉山晃一 稲のまつり―アジアの村々を訪ねて―
山形孝夫 コプト教における救済と解脱―ワディ・ナルトンの修道士の生活史から―

第8号 (1981年12月31日発行)

華園聰麿 明治期における神社の廃合の経過と影響
中井本秀 Samkhya派におけるpramana理論の受容形態
田中雅一 ヒンドゥ教の人類学的研究における二つの立場―原子論と全体論―
磯田熙文 Arya-Vimuktasena:"Abhisamayalamkara-Vrtti"(Ⅳ)

第7号 (1980年12月31日発行)

杉本卓州 南方上座部の菩薩について
高橋 渉 津軽高山稲荷の信仰形態
広瀬智一 阿毘達磨灯論釈におけるIsvara批判
川村邦光 教祖における神がかりの意味をめぐって
中井本秀 Samkhya派知覚論について―『金七十論』とSamkhyavrttiを中心として―
小笠原由紀夫 ニーチェの悲劇観―人間存在の二重性をめぐって―

第6号 (1979年12月31日発行)

山下博司 Manjusrimulakalpaのマンダラと成立の問題
鈴木岩弓 山岳信仰の構造―飯豊山登拝をめぐって―
小林 守 仏弟子スブーティの無諍行―般若経の理解に関連して―
S.ダシアール A. 日本文化試論―民間信仰論と庶民信仰論―

第5号 (1978年12月31日発行)

玉城康四郎 仏教研究の反省
楠 正弘 呪術と宗教―フレーザーの所論をめぐって―
川越英真 rBa bshed の一考察―mKhas pahi dgah stonの引用を手がかりとして―
渡辺喜勝 一遍聖の踊り念仏について―創唱期における2,3の問題―

第4号 (1977年12月10日発行)

杉本卓州 仏教における生命観の一側面
山本春樹 パワンについて―マレーシアのシャマニズム―
池上良正 エリアーデの宇宙的宗教について―その文化論的有効性の問題―
諸岡道比古 人間における悪の根底―カントの道徳的宗教をめぐって―
北川直利 フォイエルバッハの新しい哲学について―宗教との連関において―
澤井義次 現代宗教―タルコット・パーソンズの宗教論をめぐって―
村上真完 サーンクヤ哲学における業、法・非法とヴァイシェーシカ哲学

第3号 (1972年5月10日発行)

早坂 博 浄土思想における生と死の問題
蜜波羅圭之助 月燈三昧経偈頌における混淆サンスクリットの一考察
前田 崇 密教の形成についての一考察−Aryamanjusrimulakalpaにおける真言Mantraを中心として

第2号 (1969年12月12日発行)

山田恭道 世俗諦考―初期資料の検討―
星宮智光 比叡山回峰行の成立とその形態
村野宣男 宗教的生き方と日常的生き方―ジェイムズの宗教論を中心として―
木村俊彦 プラマーナヴァールッティカ・プラマーナシッディ章について
古坂紘一 サーンクヤのsakti概念

創刊号 (1968年5月10日発行)

磯田熙文 サンスクリット語のPrefixとそのチベット語訳の問題(1)
華園聰麿 宗教史における平行論とその根底―R.オットーの所論を中心として―
前田 毅 ハイデッガーの解釈学における実存理念の問題