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『La Movado』第707号(2010.1)掲載文に加筆
1920〜30年代のエスペラント運動高揚期に多様な人々がこれに加わったことはよく知られているが、ハンセン病との間にも浅からぬ接触があった。実際、個々の出来事はそれぞれの時期においてしかるべく報道や報告がなされている。しかし、それらはエスペラント関係、ハンセン病関係ほかに散在しており、つなぎあわせて総合的に理解することは容易ではない。これまでのエスペラント運動史研究においても十分な取り扱いがなされたとは言えない。
この時代を中心に、立場に応じて様々な動機や意図を伴いながら、ハンセン病関係者によってエスペラントを契機とした多様な言語、文化、社会的活動が行われたことは歴史上の事実である。それらを埋もれたままにしておくことは余りにも惜しい。本稿では、筆者の知りえた範囲でいくつかのトピックをとりあげて、歴史的に考察してみたい。
なお、史料間に微妙な食い違いが見られることは少なくないが、筆者の判断によって適切と思われる情報を採用する。また、歴史叙述の必要に応じて「癩」など現在では不適切な用語を使うことがある。
2024年11月2日、国際基督教大学アジア文化研究所主催シンポジウム「日本におけるエスペラント受容 〜ハンセン病との関わりから〜」において「日本におけるエスペラントとハンセン病」の題で講演を行った。スライド[pdf]
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